I氏の手紙

Ibuki Hideaki Free Talk

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軍艦の話「戦艦の代わりに」

 あれこれと空想する題材が10ダースほどある。寝る前に、布団の中で少し考え、すぐに寝込んでしまうので、それほど深くに達したことはないのだが。
 ずいぶん前から考えている題材のひとつは、日本海軍の戦艦「扶桑」「山城」「伊勢」「日向」の4隻と同じ排水量枠でべつの軍艦を作るとしたら、というもの。
 詳しい人なら御存知のように、戦前、決戦兵力とされた戦艦は、有効な活躍はできなかった。使われたのは4隻の「金剛」級高速戦艦だけといっていい。
 そこで旧式の4隻の戦艦をべつの艦種にしては、と考えるのである。この4隻を改造するのではなく、排水量分の枠で一から作り直すのだから、自由度は高い(ただし、架空の艦は無し)。
 4隻の合計は概算で14万トン。
 6652トンの「阿賀野」級軽巡なら21隻建造できる。
 65000トンの「大和」級戦艦なら2隻しか作れない。残りの1万トンで重巡1隻。
 というように考えていく。
 しかし、水雷戦隊の旗艦だけを21隻作っても意味はないし(阿賀野のスタイルは好きだが)、これ以上戦艦を作っても活用はできそうもない。
 たぶん有効な兵力となり得るのは、
 17150トンの「雲龍」級空母2隻
 2700トンの「秋月」級駆逐艦13隻
 1260トンの「松」級駆逐艦28隻
 の組み合わせ。
 低速戦艦4隻よりも役に立つのは間違いない。
 もちろん、運用できる燃料があり、空母の場合は、稼動できる艦載機と(できれば)訓練されたパイロットがいるという条件が必要だが。
「大鳳」級は重防御(魚雷1本で沈んだことはこの際、目をつぶる)ではあるが、何しろ29300トンと重すぎる。「雲龍」級2隻のほうが有効だろう。
「秋月」と「松」は、それまでの日本駆逐艦よりも対空能力に優れていて、実用的だ(欲をいえば、対潜能力がもっと欲しいところ)。
 さて、代替できるのは「扶桑」「山城」「伊勢」「日向」だけで良いのか? じつは「長門」「陸奥」「大和」「武蔵」を残しているのは、未練たらしく砲撃戦のシーンを考えているからである。
 思いきってこれらもすべて代替できると考える。すると戦艦8隻分、概算で348000トン使えることになる。
 上記の3艦種のみを作るとなると、
「雲龍」級6隻、「秋月」級45隻、「松」級100隻となる。
 以前、作家の林譲治さんと会ったとき、同じ設問でお聞きしてみた。すると、
「自分なら輸送船を大量に作ります」
 という。まことに現実的なお答えである。
 史実ではただでさえ少ない輸送船が次々に沈められ、前線に対する補給も、南方から日本本土に対する物資輸送も不可能となり、継戦能力も国民経済も破壊されてしまったわけなのだから。
 輸送船、それに「松」級よりも排水量の小さい海防艦や駆潜艇を作って護衛にまわしたほうが有効かもしれない。
 まあ、仮に戦艦に代わって、「雲龍」級、「秋月」級、「松」級を建造したとしても、結果は変わらなかったことでしょうけど。問題はもっと根深いところにある。
 でも、あれこれと空想だけは続くのである。あえてシンプルに考えることもあり。作品にはなりそうもないが。

(2001.7.31記す)
2001.8.29 ◇to page top


近況・SF大会。

 8月18〜19日、幕張メッセで開かれた第40回日本SF大会に行ってきました。
 この10年間では7回目の参加。長年作ってきたSFファンジンをディーラーズ・ルームで売ったり、知人と会うのが目的(ホントにここでしか会わない人も多くいる)で、ここ数年は企画を見なくなってきています。
 予告していた「猫耳戦車隊」のコピー本の増刷分は、短時間のうちに完売。お買い上げ、感謝。(ちなみに最初にお買い上げ下さったのは、米沢嘉博さんでした。じつはお得意様なのです)
 その後もバックナンバーを売るべく、大会時間の95パーセントをディーラーズ・ルームで過ごしました(自宅が近いので一時帰宅もしたけど)。
 今年の大会は全参加者、全ゲストに名刺が配布され、あっちこっちで交換する姿が見られたわけですが、これは初対面の人と話す良いきっかけとなったようです。
 さて、以下は、私が名刺交換した人たち。ほぼ交換した順番。名刺に記載されていた肩書きは/の前、コメントは()内にあります。では、いってみよう。いきなりあの方から(笑)。
 山口宏様、佐川泉様、伊藤伸平様、伊藤容子様、屋良良一様、大澤類里佐様、ジャパンアート普及会/草柳大輔様、JOY OF A TOY様、下村康子様、図書館ハンター/とりこ様、ESIFCON影の事務局長/岩崎勉様、吉田誠司様、青井美香様、ミステリ作家/西澤保彦様、カラオケ番長/さいとうよしこ様、英保時央様、水玉螢之丞様、作家/健部伸明様、中田和子様、森東作様、大日本魯介漫画振興会代表・主筆/和泉矧一郎様、(秘)ゲル・ディズニー怪人/なまこまんぼう様、権丈聖子様、山崎隆史様、エントの水を飲みすぎたホビット/高橋誠様、角川書店スニーカー文庫/女井正浩様、地球防衛隊福井出張所/アカシ・カズヨシ様、星海企業・記録出版室室長/中谷育子様、TERMINATOR/タミヲ様、Mr.soft-touth/パパ様、牧紀子様、田中光様、青山洋子様、角野忠様、東京工業大学SF研究会OB会/平田真夫様、喜多哲士様、山田康詞様、SF漫画描き/八木ナガハル様、佳野利明様、林譲治様、ながの暁斎様、官能SF作家/葉影立直様、山岡謙様、岩崎直子(またの名を未亜)様、SFメカ&DIVE MASTER /矢崎武司様、ていとく嫁/ゆかさま(あるいは“むしゅふしゅ”)様、加藤龍勇様、特殊翻訳家/柳下毅一郎様、横山信義様、石田泰之様、庄司照世様(猫とアシモフとビジョルドが好き)、三村美衣様、はしもとさちこ様、ガタコン映像企画人・MGR代表/真柄正義様、故東京電機大学(特)部SF研究会/信田重知様、アース人・SF小説かき/岡本賢一様、全日本負け犬連盟総統/春晴太様、小倉直浩様、梁瀬美樹様、お茶汲み/中村恵子様。
 ふー。「ともだち100人できるかな」には足りなかったですね。
 でも、いろいろと収穫もあり。
 JOY OF A TOYさんには、「猫耳戦車隊」の遊月栞里仕様のドールを見せていただきました。大変な労作です。眼福、眼福。ちなみにこの方は野尻抱介さんの「ふわふわの泉」の浅倉泉のドールも作っていました。お見せすることはできたかな?(Einhorn註:「これは先ほど作者の方に見せてきたものですが」とおっしゃっていたではありませんか・笑)
 生後四カ月の時央クンを連れてきたのは、さいとうよしこ嬢。この人とは、まあ長年のくされ縁というやつですが……。産後初めて、よしこ嬢の姿を見たわしの第一声は
「ああっ、巨乳になっていないではないか!」
 それを受けた彼女は、
「ほうら、この人がきみと同じおっぱい好きの伊吹さんだよー」
 と四カ月児に語りかける始末。やれやれ。いつものノリだが。
 旧友たちに売り子を手伝ってもらい、時刊新聞ならぬニャ刊新聞をもらったり、アニメ「戦闘妖精雪風」のプロモ映像を観たり、ルリルリのコスプレをした六歳くらいの可愛い女の子から風船をもらったりしているうちに、ディーラーズ・ルーム終了。人混みが嫌いな私は閉会式前に帰ったのでした。
 先述の長年作ってきたというSFファンジンは、次が最終号となります。ホントは今回出す予定だったのですが、諸々の事情で間に合わず。常連のお客さんたちは「じゃあ、次回以降も続くんですね」と喜んでいましたけど……。
 しかし、いずれそのうち最終号は出るわけで、それを売りきったあとのSF大会に参加するかは分かりません。ただプラプラするのはつまらないので、出るからには何か自主企画をやりたいとは思いますが。いずれにしろ、二、三年先の話でしょう。
 帰る途中、海浜幕張駅近くのブックストア談に寄る。SF大会に合わせたのかどうかは不明ですが、ハヤカワ文庫が大量に平積みされていました。しかも、内容紹介の手書きポップが丁寧につけられている! よほど詳しくて好きな人がいるんですね。ロッテリアとかが入ったプレナ幕張の3階の本屋、果たして何人気づいたことか?
 家に帰ると「スクラップド・プリンセス」の榊一郎さんから残暑見舞いが届いていた。返事を書かねば。
 あれも書かねば、これも書かねば……。祭りは終わった。仕事の季節がやってきた。というわけで、これからしばらくは仕事づけとなります。また首が悪化しそうだ。

(2001.8.19記す)
2001.8.23 ◇to page top


甲殻類の分類。人間は分類する生き物

 仕事柄、机に張りつくことが多く、自然と運動不足になる。そこでできるだけ、散歩することにしている。となりの駅まで往復で約40〜60分ほど。
 その途中、道路に沿って、人工的に作られた小川のようなものがある。そこでは人が放したコイの他に、カジカ類、カニ、テナガエビ、ザリガニの姿を見ることができる(一度、かなり大きなカメを見たこともある)。
 一番多く見られるのはカニで、夏だとちょっと歩くあいだに100匹以上を数えることができる。中には掌サイズの大きなものもいるが、感心するのは小指の先ほどの小さなやつだ。あんなに小さいのに、きちんとカニの形をしていて、動いている。まるで精密機械を見ているようだ。
 さて、8月1回目のフリートークで、『エビ・カニガイドブック』(加藤昌一・奥野淳児 TBSブリタニカ)のコラムを読んでいて驚いたことがあると書いた。
 一般に十脚甲殻類は「エビ、カニ、ヤドカリ」と区分されることが多いし、私もそう思っていた。かたちを見れば一目瞭然だと。
 しかし、この概念は専門家のあいだではもはや崩壊しているという。現在では、「クルマエビの仲間とその他」が正しい。
 思わず目が点になった。クルマエビ以外はその他? クルマエビだけが特別なのか? オトヒメエビもイセエビもシャコもカニのすべても、「その他」でひとつにくくられてしまうというのか?
 どーですか、意外でしょ。
 この根拠は成長過程の差、そしてエラの形状の違いによるものだという。学問の世界では、それらが優先されているということだ。
 私がここで驚いたのは、生物(とくに水棲生物)に関心があるためだが、それに加えて分類の仕方、ものの見方、大げさにいえばパラダイムの変換を感じたからだ。
 人間とは、ものを分類する存在である。動物、植物、鉱物、天体、発見されるありとあらゆるものを探検家や学者たちは分類し、命名してきた。
 一般の人でも日常生活において、人や物などを意識/無意識に分類している。いままでずっとAだと思っていたものが、じつはBだと分かったときの驚きは大きい。
 同様の感覚を、作品でも活かしてみたいものです(エビの怪物が出てくる話を書くという伏線ではありません。そういえば星野之宣の「海の牙」にはシャコの怪物が出てきましたな)。
 ここから強引に作品のジャンル分けやら、一度貼られたラベルのために苦労するという話に持っていこうと思っていたのですが、長くなりそうなのでやめておきます。

(2001.7.30記す)
2001.8.20 ◇to page top


インフォメーション

「猫耳戦車隊」設定コピー本は完売いたしました。コミケに来てくださった方々には感謝であります。
 他にも欲しい方がいらっしゃるようなので、また、少数ですが増刷しました。
 18〜19日の日本SF大会
 ディーラーズルーム C3の「パラドックス」のブースにて販売いたします。
 SF大会参加者で御希望の方はお立ち寄り下さい。
 例によって売り切れのときはご容赦のほどを。

 もう一冊の「猫耳戦車隊」本について。
 コミケ会場で神聖帝国さんの「猫耳戦車隊用語集」をいただきました。
 こちらもコピー本ですが、カラー表紙、44Pという高スペック。しかも、内容も濃いです。いやぁ、アレがわかる人が他になぁ……。
 やはりSF大会のディーラーズルームで販売すると思いますので(じつは未確認)、そちらも要チェックです。

(2001.8.14記す)
2001.8.15 ◇to page top


戦う彼女たちの明日は?

 ここに一枚のTシャツがある。背にローマ字で名前がたくさん書いてあるのだが、それを漢字に戻し、あえて下のほうから書き出してみよう。
 小林智美、本谷香名子、倉垣靖子、宮崎有妃、久住智子、天野理恵子、宮口知子、菅生裕美、能智房代、矢樹広弓、外山寿美代、キャンディー奥津、ボリショイ・キッド、プラム麻里子、福岡晶、キューティー鈴木、尾崎魔弓、デビル雅美、ダイナマイト関西。
 最初のひとりで、イラストレーターと思った貴方は鋭い(笑)。確かに同姓同名の人がいる。
 いきなり女子プロレスラーと当てた人は、結構マニア。まあ、多くの人はキューティー鈴木のところで気づくと思いますが。
 プロレスは子供のころから、つかず離れずのスタンスで観ていた。集中的に観ることもあれば、何年も観ない時期もあった。観るのは男のプロレスオンリーで、女子プロレスにはまったく関心がなかった。80年代、偶然テレビに映ったとき、「ギャーギャー、うるせぇ」とすぐにチャンネルを代えたくらいだ。
 それが劇的に変わったのは、1994年、編集していたSFファンジンで「SF格闘特集」なるものを手がけたときだ。翻訳家の中村融氏に寄稿していただいた女子プロレスに関するエッセイがじつに良かった。編集期間中、買い続けていたプロレス雑誌の中で彼女たちは輝いて見えた。その内、生で彼女たちの試合が観たくなってきた。同年12月、ついに試合会場に足を運んだ。
 以後、男のプロレスはあまり観なくなり、格闘技と女子プロレス中心に観戦するようになった(両端を観るようになって、中間がなくなったともいう。ハッ、読書にも当てはまるかも)。
 中村氏がひいきにしていたのはJWPという団体だった。私もいろいろと調べるうちに、JWPが好みの団体となった。ほぼ毎月、後楽園ホールに通うことになる(千葉、神奈川、埼玉の会場に遠征することもあった)。前述のTシャツは95年の春に買ったもので、名前の順番は団体内の序列を表している(たいていのプロレス団体にはこういうものがある)。
 あれから6年。彼女たちはどうなったのか? さっと書き出してみよう。
 小林智美。95年1月デビュー。試合中、独特の奇声を発し、会場を沸かした。一緒に観にいった友人は彼女を「ギャオス小林」と呼んだ。私も期待していたのだが、95年の秋にとつぜん退団、引退した。
 本谷香名子。95年1月デビュー。ロリ顔で人気を博した。99年、美咲華菜と改名。今年の7月29日、引退。
 倉垣靖子。95年1月デビュー。95年の秋に負傷退団したが、プロレスの夢が断ち切れず、99年に再入団。現・倉垣翼。
 宮崎有妃。95年1月デビュー。97年負傷で引退したが、別団体で再デビュー。
 久住智子。94年12月デビュー。短大を中退してプロレス入りした変わり者。ジュニアチャンピオンを10回防衛するなど活躍したあと(辞めるといって騒動を起こしたこともあった)、99年、日向あずみと改名。現JWPのチャンピオン。アルシオンにもよく参戦している。
 天野理恵子。94年12月デビュー。関節技の使い手。尾崎魔弓に師事し、OZアカデミーの一員。99年、カルロス天野と改名。今年、退団しフリーとなった。
 宮口知子。94年12月デビュー。久住と並ぶ実力者だが、怪我に泣かされた。99年、輝優優と改名、現在に至る。
 以上の7人が同期生。このあとも何人かがデビューしたが、長続きせず、現在下にはあと2人しかいない。以下は先輩たちとなるが、ここからが壮絶なのである。デビュー年は調べるのが大変なので割愛します(埋もれているパンフが発掘できれば一発なのだが)。
 菅生裕美。96年、レスリングに限界を感じてレフェリーに転向。現テッシー菅生。
 能智房代。97年に引退。
 矢樹広弓。人気者だったが、97年の春、結婚のため引退。その後、フリーの身で復帰し、主にアルシオンで戦っている。人妻レスラー。
 外山寿美代。95年、さぶろうと改名。能智とのペアで会場を盛り上げたが、やはり怪我で能智とともに引退した。
 キャンディー奥津。矢樹と並んで人気者。ロリ顔からは想像でないプロレスセンスと根性の持ち主で、先天性の腰の傷害がなければと悔やまれる。97年の夏、引退するが、翌年アルシオンに入団。今年、やはり体が限界となり引退した。
 ボリショイ・キッド。小柄な覆面レスラー。団体では最年長になってしまった。PIKOという名でアルシオンに参戦することもある。
 それにしても、97年はJWPにとって呪われた年だった。人気のある矢樹と奥津が相次いで引退。そして――
 プラム麻里子。デビューから10年目を迎え、彼女は怪我で苦しんでいた。長期欠場からようやく復帰できたあと、またしても欠場。しかし、彼女はリングに戻った。そこで悲劇が起きた。広島のリング上での事故。彼女は還らぬ人となった。
 事故から1週間後、私は偶然、広島の街を歩いていた。その年のSF大会が広島で開催されたのだ。まだ街中に残っていたJWPのポスターを目にし、悲しくなった。
 福岡晶(ひかり)。矢樹、奥津とともに「ひーちゃんズ」というユニットを組んでいた。一般の知名度はキューティー鈴木がはるかに上だが、後楽園ホールでの人気は彼女が一番だった。キューティー引退後は、間違いなく団体の顔になるはずだったが、そのわずか3カ月後には負傷と結婚を理由に、彼女は引退した。いまは一児の母であり、復帰はしていない。
 キューティー鈴木。世界広しといえど、キューティーを名乗れるのは、如月ハニーと鈴木由美のふたりだけである。抜群の知名度によって、興行面でいえば間違いなく団体の柱だった。彼女が98年暮れに引退した後、JWPは急速に坂道を転げ落ちていった。
 尾崎魔弓。前経済企画庁長官が尾崎の熱狂的なファンというのは有名な話。後楽園ホールに行くと、必ず最前列に座っていた。97年には一足早くフリーに転向し、主にガイアで戦っている。
 デビル雅美。現役最年長の女子プロレスラー。その試合は、まさに職人芸の域に達している。2000年、フリーとなって主にガイアに参戦している。
 ダイナマイト・関西。キューティー鈴木と並んで、かつてのJWPを支えた「男前」の大型レスラー。アジャ・コングを破り、WWWAのベルトを全女(全日本女子プロレス)以外の選手として初めて巻いたこともある。2000年、フリーとなって主にガイアに参戦している。
 山本雅俊。通称ヤマモ。JWP代表として立ち上げから興行を仕切り、JWPを全女に次ぐ第二の女子プロ団体とした。95年の秋、イベント旅行でいろいろと話を聞く機会があったが、本当に充実しているようだった。しかし、2000年秋、選手たちとの「感性の違い」を理由に退団した。現在は男子のインディーズ団体で活躍中。
 現在、JWPは苦境に立っている。かつて常にフルハウスにしていた後楽園ホールで試合ができないほどに。
 キューティー鈴木の引退は大きい。しかし、それよりも深刻と思えるのは、中堅がアッという間に「全滅」したことだ。復帰したレスラーもいるが、彼女たちは別のリングを選んだ。何か大きな問題があったような気がしてならない。
 中堅がごっそりと抜けたあと、ベテランと若手だけになってしまった。ただでさえ選手数は少ない。マッチメイクが難しくなることはいうまでもない。
 やがてベテランたちは、そのキャリアに見合うギャラがもらえず、フリーの立場でガイア(長与千種の団体)のリングに上がっている。プロである以上、その選択は正しい(ふたりとも、それぞれべつの意味で長与に思い入れがあるだろうし)。ただ、関西やデビルたちが、ガイアの若手たちの踏み台になっているのを見ると歯がゆいものがあるのも事実だ(若手の台頭がなければ、どこの団体も明日はないのではあるが……)。
 結果、JWPには若手だけが残った。彼女たちの試合レベルは、他団体の同期選手と比べても遜色はない。アルシオンに参戦したときの日向あずみの活躍を見てもらえば分かるだろう。ただ、如何せん、キャリアが浅く、知名度が低い。マイクを含めた、試合以外のパフォーマンス力も低く、興行的にはきつい。
 7月29日、美咲華菜が引退した。引退試合は、同期たちとの6人タッグマッチだった。退団した宮崎有妃とカルロス天野も参加してくれた。美咲は、本名の本谷香名子に戻り、水泳のインストラクターを目指すという。
 残った選手は6人となった。彼女たちがどのような道を辿るか、まだ目を離すわけにはいかない。

(2001.7.30記す)
2001.8.11 ◇to page top


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