I氏の手紙

Ibuki Hideaki Free Talk

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美鳳フィギュア

 小説・アニメが終了して、2年が経過した「エンジェル・リンクス」ですが、先日(というか、少し前らしいのですが)、美鳳のガレージキットがまたリリースされたと聞いてビックリ。石塚源氏原型製作の7分の1水着バージョン(水着が乳に食い込んでいるところが良し!)。発売はことぶき屋です。8000円+税。
 私の知る限り、店頭販売のキットはこれで7作目。アニメは英語版が製作されているというし、過分な扱いを受けているようだ。
 思えば、最初の打ち合わせが‘97年の春だから、もう4年前の出来事となる。
 ヒロインをどうするか、といわれ
「巨乳、巨乳! チャイナドレスの巨乳!」と、すぐに決定したことは、昨日のことのように覚えている。
 年内は無理ですが、来年あたりにまたスペース・オペラを書いてみたいものです。

(2001.4.25記す)
2001.4.30 ◇to page top


シリーズ「意外交友録」その1

 ネットは自分ではやってないし、パーティの類も滅多に行かないので業界の知り合いはあまりいない私ですが、13年ほどSFファンジンの編集をやっていますので(いま2年越しで最終号を作ってます)、それを通じて知り合った人たちを紹介していきましょう。
 ファンジン(同人誌)なので部数は少ないですし、商業誌というかオモテでは一緒に登場することもないので、意外に思われる方も多いでしょう。というか、それがこの狙いなんですけど。
 さて、第1回は「加藤龍勇」さんの巻。
 ね、意外でしょ。でも、もう18年くらいのつき合いになりますね。
 加藤さんは2年くらい前までは加藤洋之というペンネーム(本名は別なんですよ)で、後藤啓介氏とのコンビで主にSF雑誌にイラストを描いていました。ふたりで描くイラストレーターというのはじつにユニークなので、一部では「SF界の藤子不二雄」などといわれていました。
 独特なファンタジックな画風はすでにお馴染みでしょう。星雲賞やSFマガジン読者賞などを受賞されてます。
 で、やはり藤子不二雄のようにコンビを解消してしまったわけですが、合作はときどき続けるとのこと。
 加藤さんとは電話でよく話します。80年代は幻想系が好きだったのでマーヴィン・ピークとかハンス・ベルメールとかを話題にしていたのですが、90年代以降、幻想文学もSFもほとんど話題になりません。もっぱら、野球とサッカーと巨乳アイドルの話ばかりしとります(笑)。
「イチローと新庄ばかり話題になっているけど、わしはエンジェルスの長谷川を買っているんだよね」
「どうして」
「何だかんだいっても、ひとつのチームで5シーズン目を迎えるのは長谷川だけだし、去年もセットアップで10勝してしますからね」
「パワーがない分、コントロールと頭脳で勝負してるんだ」
「去年テレビで長谷川のアメリカ暮らしが紹介されたとき、けっこう読書家だっていうことがわかって、そのときの彼の言葉が良かった。『日本の野球選手では誰も本を読んでいなくて、話の合うやつがいなかったって』」
 こんな感じ。ちなみに私も加藤さんも日本の精神主義、巨人中心主義のプロ野球はキライです。
 さらに最近では。
「いまは、やはり乙葉でしょうかね。顔もいいし」
「しかし、なんでわしらのまわりには巨乳がいないのだろう?」
 という、トホホな話に。ちなみに加藤さんは「妻も貧乳だし」といってました。一応、断って書いてますよ、これは。
 巨乳ネタといえば、もうひとつ。
 加藤&後藤の描く女性はそれはもう折れそうなくらい細いのですが、「加藤さん、ほんとうは巨乳のほうが好きなんだから、ちゃんと好きなもの描かないと駄目ですよ!」と悪魔のように囁き、いや、説得し、ついに同人誌用に巨乳の絵をゲットしたのは94年だったでしょうか。さらにその後も描いてもらい……。
 思えば、それがコンビ解消の遠因だったのかも知れませんねぇ。確認していませんが。

 追記。加藤&後藤時代の漫画にとても好きな作品があって、いつかその設定をベースに小説を書いてみたいと思っています。まだ本人には話していないんですけどね。

(2001.4.14記す)
2001.4.27 ◇to page top


馬場のぼるさん逝去

 漫画家、絵本作家の馬場のぼるさんが亡くなられたと聞いた。享年73歳。
 手塚治虫が生きていれば72歳のはずだから、まさに同世代の漫画家だ。
 戦後、少年雑誌の中で漫画の比重が急速に高まったころに活躍したひとり。初期の手塚漫画の中には、手塚本人、馬場、そして福井英一がキャラクターとして登場したりする。
 この三人は、興味深い対照をなしている。
 手塚治虫。
 いうまでもなく漫画の神様。その作品はほとんどのジャンルにおよび、また作家としての息も長かった(本人の寿命ではなく、あくまで作家として)。
 福井英一。
 手塚のライバル。手塚が手がけなかったスポ根漫画を開発。学園物、ライバル、特訓といった現代でも多様されているパターン(例「はじめの一歩」)はこの人が元祖。「イガグリくん」で大人気を博したが、34歳という若さで急逝している。葬儀の帰り、手塚がまだ高校生だった石森章太郎に「出版社が殺したようなものだ」というハガキを送ったエピソードは強烈。
 馬場のぼる。
 早い段階で少年漫画から大人漫画、そして絵本作家に転向した。
 当時は少年(少女)漫画と大人漫画(カートゥーン含む)しかなかった。青年漫画という分野が出来るのは1967年くらいのこと(ある意味、劇画がその役割を果たしていたといえるが)。
 漫画に限らず、少年向けの作品を長年にわたって書き続けことができる人間は滅多にいない。ずっと少年漫画にこだわった手塚にしても後期は大人向けにウェイトを移したし、生涯それができた人間は藤子・F・不二雄くらいしか思い浮かばない。
 少年漫画時代の馬場作品は、さすがにリアルタイムでは知らないが、少年漫画、大人漫画、絵本という変遷はよく理解できるし、50年近くにわたって現役だったという事実はやはり偉業というしかない。
 私は絵本「11ぴきのねこ」シリーズのファンだった。馬場さんの訃報を耳にしたとき、「猫耳戦車隊」の絵本でも作ってみたいな、と思ったのは事実である。絵本のパターンどおり私利私欲に目がくらんだミントたちが、ひどい目に合うというおはなし(きっと子供向けにはならないと思うけど)。ひとりでは出来ませんけど、案としてはいかがでしょうか。

 追記。
「奇想天外」77年5月号の石上三登志氏の「新・手塚治虫の奇妙な世界」から引用。
「そして、その後すぐ、福井英一は過労のために死去。手塚治虫は『世界を滅ぼす男』(昭和29年)で、馬場のぼるの似顔雲(原文ママ)と福井英一の似顔絵を描き、福井のそれに“天使の環”をのせたのである」

(2001.4.14記す)

●フリートーク用の原稿を仕事と仕事のあいまに6本書きだめし、1週間に1本ずつ流してもらうことにしました。原稿末尾の日付と発表日に差があるのはそのためです。ご了承下さい。
(なおタイムリーなネタがあった場合、書く余力があるときは、そのつど発表しますので)

2001.4.18 ◇to page top


ドラゴンマガジン

 ふう。ようやく一本終わりました。
 半月前に届いた「ドラゴンマガジン」をようやくパラパラと眺めていると、おっ、わしの名前が。
 91頁目の下、「作家早耳情報」のコーナー。
「5月にミステリー出します! 巨乳も出ます、たぶん。猫耳は出ないです、たぶん。夏にも隠し玉アリです。よろしく!!」
 なんと、書いた覚えがまったくない文章が、そこに!! 5月には出ません。きっと6月です。巨乳はさりげなく出てます。隠し玉って何ですか?
 おそるべし、ドラゴンマガジン!! というか、担当の(た)さん!!
 ちなみに来週からは、「帝国戦記」のあとがきで予告していた「架空戦記の枠を超えた奇想艦隊物」に着手します。「迷霧の荒鷲」や「第二次宇宙戦争」とはまったく別タイプの異色作となりますので、ご期待下さい。

2001.4.13 ◇to page top


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