I氏の手紙

Ibuki Hideaki Free Talk

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重版フェア

 現在、一部の書店でハヤカワ特別重版フェアというのをやっています。レムの「捜査」、ベイリーの「カエアンの聖衣」、ボイスの「キャッチワールド」とか懐かしいものばかり。
「捜査」なんか、初版から二十数年を経て今回が五版目ですぜ。みんな持っている本だけど、どっかに埋もれて出てこないし(苦っ)、買っておくべきか。あと、創元も「非Aの世界」とか出しているし、やはりSFのリバイバルが始まっているようですな。
 気になるのは、ストルガツキー兄弟の「ストーカー」のここ数年の売れ行き。サスペンスやミステリと勘違いして購入していく人がいるのではないかと思うのですが……
 先日、「SFアドベンチャー傑作選」のアンソロジー(千を越える短編が埋もれているのはもったいない)と「太陽風交点」や「幻詩狩り」などのSF大賞作品の再刊を、徳間書店デュアル文庫に要望しました。実現するとよいな。

2001.2.16 ◇to page top


カレーなる変遷

「闘病記」で書いたように、食生活に不自由な日々を送っている私ですが、好物のカレーに関する本はいろいろと買っております(実際には行けないのに、海外旅行の本を読みあさっているようなものか)。
 で、先日読んだのが『東京カレー食べつくしガイド104/380店』小野員裕 講談社 税別1200円
 この本の著者は、スパイスの利いたインドカレー(カリーと書くべきか)派のようで、欧風カレーには辛い(?)評価をしています。
 神保町の共栄堂(スマトラカレー)には星が四個半と高い評価なのに、同じ神保町にある欧風カレーのボンディに与えている星はたったの一個半。
 私にとっては、どちらも好きな店だっただけに「うーむ」とうなってしまう。
 まあ、味の好みは人それぞれ。それに同じカレーと名がついていても、スパイスを利かせた南アジアのものと、クリーミーな欧風料理ではまったく別物ですからね。
 ミステリでいえば、パズラーとハードボイルドやノワール系。SFでいえば、ハードSFと幻想奇想系、スペオペなどをごっちゃにして価値を計るに等しい。
 それぞれ好みが偏ってしまうのは、やむを得ないことなのかもしれません。
 飽きっぽい自分が長いあいだ、SFやミステリを読み、カレーを食べていられた(近過去形)のは、その多様性ゆえだったと考えます。
 多様性。ハイブリッド。やはり最近読んだ『少年の時間』『少女の空間』(デュアル文庫編集部編 徳間書店 税別648円)掲載の対談「リアルの現在 ハイブリッドの意義と強度」のことなどを連想したりして……。多ジャンルに興味のある自分としては気になるところです。

2001.2.13 ◇to page top


「闘病記。あるいは私はいかにしてカレーを食ったか」

 近況を書くということは、やはり闘病生活に触れぬわけにはいかない。まあ、これは精神的なリハビリなので、読み流していただければ幸いです。ひょっとしたら、同じような経験をしている方もいるかも知れず、その場合は参考(?)になるかも。
 まずは昨年の9月に診断された変形性頸椎症。首と左肩に痛みが走るのですが、そのピークは「帝国戦記」と「猫耳戦車隊、西へ」の追い込み時にそれぞれありました。
 医者にいわせると、「肩と首にかかっているストレスを少なくしないと、いつまで経っても痛いですよ」とのこと。要は長時間、ワープロに向かって原稿を書いている生活を続けるかぎりは治らないということですな。なんということじゃ。
 あと大腸の外側に何やら出来ていることが、一昨年の入院中に判明していまして、これがたまに神経を圧迫して腰や背中に激痛が走る。
 これらの痛みがダブルで来た日にゃ、往年のブルーザー・ブロディとスタン・ハンセンにツープラトンの攻撃を仕掛けられているようなもの(このツープラトン攻撃の語源をご存知の方は御教示願います。長年の疑問)。
 そうなると医者に痛み止めの注射をしてもらうしかないのですが、「これが効かないと、次はモルヒネを使うことになるので入院してもらいますよ」とまでいわれる始末。
 そんなこんなで「猫耳戦車隊、西へ」を年末ギリギリに脱稿すると、まことに体というのは現金なもので首の痛みはすぐに和らぎました。やはりストレスが大敵だったわけです。
 仕事のペースさえうまくコントロールできれば(それが一番難しいんだけどね)変形性頸椎症とは、何とかつき合っていける目処がつきました。大腸のほうは進展を見て、いずれまた処置があることになるでしょう。
 さて、今度はすでに取ってしまっている胆嚢の話。このため、油の消化能力が常人の6分の1に落ちてしまったことは紹介済みですが、どんな生活を送っているか、少し具体的に書いてみましょう。
 まず、業界であまり知り合いのいない私ですが、去年は8件ほどパーティやらイベントのお誘いを受けました。でも、6件は不参加。仕事が立て込んでいたのがメインの理由ですが、それらで用意されているフランス料理や中華料理(油だらけ!)などは一切口に出来ないということもあります。それで6〜8千円の参加費は痛いっスよ。
 えっ、そういうパーティは名刺を配って、顔を売るためのものですって? じつはそういう営業も苦手でしてねぇ(参加費が無料の富士見の謝恩会には出ましたけど)。
 パーティはともかく、ふつうの外出もしにくくなります。長時間外に出るということは、外で食事を取るということですが、もちろん油物は駄目なので、うどん屋やそば屋を探すことになります。寿司屋でも可ですが、トロは駄目。牛の胆汁を練った脂肪消化薬は常に持ち歩いていますが、これとて必ず効くとは限らないのが辛いところ。
 私も人並みにラーメンやカレーはとても好きだったんですがねぇ。
 とんこつラーメンはもう論外です。醤油ラーメンはスープを飲まなくても、安全率は50パーセントあるかないか。
 インスタントラーメンは「サッポロ一番塩味」なら80パーセント。山本貴嗣さんに御紹介いただいた九州のメーカー、雲仙きのこ本舗の養々麺なら100パーセントOK。あれはじつに良いものです。通販で買っております。
 カレーは市販のルーには油がいっぱい入っているので、せいぜい3分の1しか使わず、粉のスパイスを混ぜて作ります。肉も鳥のササミが安全。このまま突き進んでいくと、パンクラスの食事になっていくかも。あれも油は使いませんからね。
 しかし、このあいだ思いきって神保町の共栄堂でエビカレーを食べてみたら大丈夫だったので感動(薬は飲みましたけど)。天はまだ我を見放していなかった! という感じでした。さあ、次はやはり好きなナンプラーを効かしたタイカレーに挑戦だ!
 さて……油の消化不良とはいかなるものか、という疑問を抱く方もおられるでしょう。しかし、それは言わぬが花というもの。外出時にとっても困る現象でございますよ。

2001.2.7 ◇to page top


「石森章太郎について」

 正月に帰省した折りに、昔の自分の部屋で山となっているマンガ本をしげしげと眺める。高校までは下手くそなマンガを自分でも描いていたし、読んでいたのも圧倒的にマンガのほうが多かった(小説のウェイトが上がるのは大学生になってから。勤労学生で貧乏だったから、読むのに時間のかかる小説のほうが経済的だった)。
 多くのマンガ家の中からただひとりだけを選べ、という設問があれば、自分の場合は石森章太郎ということになる。
(3年前に逝去したあと、追悼文の中の多くが石ノ森ではなく、あえて石森と書いていた。自分も石森で深くインプットされてしまっているため石森と表記します)
 きっかけは小学生のとき、従兄弟の家で「発見」した「サイボーグ009」と「伊賀の影丸」(こちらは横山光輝作)。
 そこでどっぷりとはまった自分は、秋田書店の「アンドロイドV」「怪人同盟」「幻魔大戦」「人造人間キカイダー」、朝日ソノラマ・サンコミックスの「竜神沼」「メゾンZ」「縄と石」「奇人クラブ」「009ノ1」「ワイルドキャット」「仮面ライダー」などを買いあさったものだった。
 しかし、中3から高校以降は、反動で石森離れが始まる。
 理由はペンタッチが荒くなって、絵柄が好みではなくなったこと(だから一時期は過去の作品ばかりを集めていた)。
「番長惑星」「ギルガメッシュ」「GRナンバー5」、再開された「サイボーグ009」といった一連の作品が世界の七不思議のようなものばかりをネタにして、あまりにもワンパターン化したこと。
 小学生のときは人並みに「仮面ライダー」に熱中したものの、やがてそれに冷め、石森章太郎の企画プロデューサー的な側面がイヤに見えたこと(十代や二十歳くらいのころは、クリエーターはクリエーターに徹しているほうが美しく見えるものなのです)。
 だから80年代に「マンガ日本経済入門」がベストセラーになったときも「ふーん」の一言で済ませていた。
 しかし、ときが流れ、こちらもプロデューサーという仕事の重要性がわかってきたり、往年の名著「マンガ家入門」はわずか27歳で書かれていたということに気づいたり、40年間マンガを描き続けたという意味がうっすらとわかってきたりして、自分なりに石森章太郎の再評価が始まっていた。できれば、一度くらいはお会いしてみたいものだ、と考えていたころの訃報だったのですよ。それが3年前のこと。
 そんなこんなで、手塚治虫や石森章太郎、藤子不二雄などのトキワ荘関連の本をここ数年は集めています。
(同時に新しいところでは、西川魯介などにも手を伸ばしているワタシですが、その話はまたべつの機会に)
 そうそう、去年、80年代に改築されたトキワ荘が暴力団のフロント企業に占拠され、マンガ家たちが絵を描いた襖が持ち去られたと週刊誌で読んだけど、あのあとどうなったんだろう? ご存知の方がおられればお知らせください。
 2001年1月5日記す。(Einhorn註:諸般の事情により、記述の日付とアップ日付には時差が生じております)

付記−トキワ荘、その後:---2/17ゲストブックより転載---
 以前、FreeTalkで触れたトキワ荘ですが、今発売中の「スピリッツ増刊」の特集記事によると、大家は借金のために土地そのものを手放し、80年代に改築されたトキワ荘も取り壊されたそうです。
 記事を書いた竹熊健太郎も驚いていたが、私もビックリ。
 元住人の巨匠たちが寄せ書きした襖がどこにいったのかは、いまだに不明。無常ですねぇ……。

2001.2.2 ◇to page top


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